第一食
ぼくとカレーライス

「毎週土曜日、カレーが食べられるのなら頑張れる!」

カレーライスが好きになったのは、小学校4年生になる頃のぼくが言ったこの言葉がきっかけだ。

ぼくが小学校に入学して間もなくして、母にそそのかされるがまま剣道クラブに入ることになった。
隔週土曜日の18時から2時間。
正座の指導から始まり、お作法お稽古お稽古お作法、心頭滅却精神統一。
生まれた瞬間からじっとしていられないぼくにとって、まさに地獄のような時間。

それでもなんとか3年間続けた。
がしかし、ついに我慢の限界が訪れ、恐る恐る母に辞めたいと告げることにした。

「剣道はもう嫌。」
「あら、なんでよ」
「しんどいだけで全然楽しくないもん」
「あらそう、そうやって投げ出していいの?」

子どもながらに「投げ出す」ことが悔しかったぼくは、ここでせめてもの抵抗として条件を出した。
「じゃあ毎週土曜日、カレーが食べられるのなら頑張れる!」
「…なに、それでいいの?全然良いわよ」

 あとから聞いた話だと、母もカレーなら簡単に作れるし、夜ご飯を考える手間が省けて助かったらしい。

それからは、土曜日が待ち遠しくなった。
いわゆる「カレー革命」だ。
剣道の始まる18時前になるとお腹が痛くて仕方なかったはずなのに、革命以降のこの時間はお腹が空いて仕方がない。
剣道の時間はカレーライスへのカウントダウン、もとい「カレーライスさんのための前座役」となった。

 我が家のカレーは、具材が大ぶりだ。

子どもの口に入るか入らないかくらいの大きさのじゃがいもとにんじんを、飴色でくたくたになったたまねぎと、表面が油でキラキラと光るカレールーが激しく包む。

それら全部を一緒に食べたくて、目一杯口を開けてありったけ放り込む作業。

そんな作業がいちいち幸せにさせてくれた。

さらにたまに入ってくるほどよい肉厚の豚肉に出会った時、スプーンに小宇宙が広がっているような、そんな気分にさせた。

何日も何杯も食べたいぼくは、出来る限り少量のカレールーで、大量のお米を食べる。

カレールーがある限り、明日の朝も夜ももしかしたら明後日も…。

そんな未来に夢を膨らませ、また一口、また一口とスプーンを動かした。

 昨今、スパイスカレーやナンカレー、スープカレー等、カレーも多様化しており、ぼくはそのどれもが好きである。

でもやっぱり「カレーライス」は我が家のカレーライス。
おしゃれでも特徴的でもなんでもない。
けれど優しくずっと食べたくなるカレーライス。

今度帰省した時、久しぶりに作ってもらおうかな。
「…なに、それでいいの?全然良いわよ」と言ってくれるだろうか。