第六食
ぼくとみんたま

「今日の夜ごはんは何がいいかなー?」
「みんたまがいい!」
「あらやだ、そんなものでいいのかしら?気使わなくてもいいのよ、子どもは食べたいものを食べなくちゃ!」
「うん、みんたまがいい!!」
「はーいはい、分かりましたよ〜。今作りますからね〜ちょっと待っててね〜」

おばあちゃんとぼくとのいつものやりとり。

 ぼくはおばあちゃん子だ。小学校の頃からこう言い続けている。
実家とおばあちゃん家が近かったこともあり、ぼくの家族はたびたび遊びに行っていた。
その度に満面な笑みで出迎えてくれ、気の済むまで甘やかせてくれるおばあちゃんに会うことがいつも楽しみだ。
これは今も昔もずっと変わらないだろう。

 そんなおばあちゃんには一度だけ怒られたことがある。弟の欲しかったおもちゃをぼくがとりあげ、自分のものにしようとした時だ。
あんなに優しかったおばあちゃんに怒られたことが本当にショックで、子どもながらに「もう絶対悪いことはしない(おばあちゃんの前では)」と誓ったことをよく覚えている。

 そんなおばあちゃんはとても穏やかでゆっくりとしている。そして優しい。
ぼくの母方の家系はおしゃべりしかいない「インドデリーの喧騒」のような家族であるが、その中でいつも一人だけ「うん、うん。あらー、あらーそうなの。あらー」と全員分の相槌を打ってくれている。しかも笑顔で。
奇跡的におばあちゃんの話すことがターンが来て、何か話そうとした時も、途端に周りの喧騒が彼女の声をかっさらう。
それでも気に留めることなくまた笑顔で相槌を打つ。
ぼくには一生できない凄技だ。

おばあちゃんのその優しさ、穏やかさは料理にもあらわれる。
何事も基本に忠実で、時間も手間も全く惜しまない。
大根の煮物はきれいに面取りする。黒豆は3日かけてゆっくり煮る。
手間を「めんどくさい」と思わず、当たり前のように時間をかけるおばあちゃんの料理はやっぱり丁寧。
甘めな味付けも、おばあちゃんっぽくてほっこりとした。

 そんなおばあちゃんの手料理の中でも、ぼくの大好物は「みんたま」、おばあちゃんのオリジナル料理である。
甘く煮詰めた玉ねぎとミンチをたまごでとじて、あつあつのごはんにのせるどんぶり料理。
「ミンチ」と「たまご」が主役の「みんたま」だ。

シャキシャキとした玉ねぎの食感と、ミンチのジュワーっと広がる旨み。
そして玉ねぎとミンチから溢れる旨みを包み込むたまごとじ。
たまごの半熟と完熟が入り混じった、ちょうど良いコントラストが、食べる度に違う味わいを楽しませてくれる。
これがごはんの上にのっているのだ、美味しいに決まってる。

 ぼくら兄弟はみんたまのどんぶりを抱え込むようにして、夢中で口にかき込む。
「おかわり」と空のどんぶりをおばあちゃんに見せるぼく。
「あら、早いわねぇ〜この子は大きくなるわよ〜」
笑いながらどんぶりを受け取り、台所に向かうおばあちゃん。
「これくらいかしら?」
控え目に盛られたごはんを見せぼくに尋ねる。
「もっと!」
ぼくは答える。
「あら、すごいわねぇ〜、じゃあこれくらい?」
「もう少し!」
「あら!すごいわねぇ〜これくらい?」
「もうちょっとだけ!」・・・

いつか「ぼくが必要以上に元気に育った秘訣」を聞かれたならば、「みんたまのおかげ」と答えるだろう。