第八食
ぼくとマトンカレー

「このカレーを食べるためだけにここまで来てもいいくらい。それくらい美味しいよ、これ。」

 妻の「ゆいさん」との新婚旅行は、2019年2月。
目的地はインドだった。
美容師として独立を果たし、6月にオープンを控えるお店のコンセプトを探しに行くゆいさん。
そして学生の頃にインドを周り、そこで出会ったレストランの店主に「結婚したら、家族を連れてまた来るね」と約束したぼく。
そんな二人の思惑が合致し、刺激の国へのハネムーンとなった。

7泊9日(内1泊は電車、もう1泊は野営)というなかなか体力勝負のインドハネムーン。
砂だらけ汗だらけな顔で、周りにたかるハエを手で払いながらカレーを食べる二人。
いわゆる「ハネムーン」のキラキラしたイメージとはかけ離れているけど、それもぼくたちらしいと笑いながら楽しんだ。
そして最終目的地である「ジャイサルメール」へと向かった。

 この「ジャイサルメール」という街は、インド北西部に位置する砂漠の街であり、ぼくが家族を連れてくると約束したレストランがある街だ。
ぼくは約束を果たすため、どうしてもここにゆいさんを連れてきたかったのだ。
街に到着し、以前お世話になった人たちと再会し一通りゆいさんを紹介したのち、ぼくは早速そのレストランを目指した。気づけばすっかり夕暮れ時に差し掛かっていた。

この街は国境沿いに面した砂で造られた要塞都市。なのでとにかく道が細かい。
そのくせ所狭しと露天商や人懐っこい現地の方々が声をかけてくるため、ゆいさんは都度足を止める。足を止めすぎて行手を阻まれた牛に襲われたほどだ(現地の人に助けてもらいました。ふぅ。)
そんなこんなでお目当てのレストランに着いた頃には、すっかり陽も沈んでいた。
レストランはルーフトップ(屋上)にあり、ぼくらはぼやっと見える水平線と満点の星空の下で食事をした。

「ここは何がおすすめなの?」
ゆいさんがぼくに聞く。
「マトンカレーだよ。ここが世界一美味しい。」
ぼくはそう言った。
「私、あんまりマトンカレー食べたことないかも。インド来てからも一回も食べてないし。ついついバターチキンカレー食べちゃうんだよね〜」

「ここのマトンカレーは本当に美味しいんだよな、なんたって世界一だもん(ぼくの中で)」
「どれどれ、じゃあ私がじっくり吟味してあげようじゃないかー!」

注文から程なくして(と言っても30分はかかる。インドだもの)、お目当てのマトンカレーがきた。
日本のカレーライスほどのとろみはないが、スープほどサラサラでもない。玉ねぎと油が絡み合ったちょうど良いとろみ。
そんなカレーからゴロっとしたマトンが顔を出し、それらの表面は油で神々しく輝いている。スパイスの香りとマトンの獣臭さと焦げ臭さが、インドに来たことを再認識させてくれる。
「美味しそうー!いただきまーす!」
ゆいさんが嬉しそうにスプーンでカレーを掬い上げ口に運ぶ。
「…。」

もう一度。
「…。」

次にナンにディップして食べる。
「…。」 

「…、どう?美味しい?」
痺れを切らしてぼくは尋ねてみる。
「ちょっと待って。」


そしてついにゆいさんが顔を上げ、目を見開いて言った。
「このカレーを食べるためだけにここまで来てもいいくらい。それくらい美味しいよ、これ。」

よかった。(いや、当たり前だと思うべきだが。)
ぼくは肩を撫で下ろし答えた。
「じゃあ、何年後かにそれやる?このカレーだけ食べにくるインド弾丸旅行」
「いいね!やろうやろう!あ、でもガンジス川と南インド料理も食べたい!あとはタージ・マハルも外せないなー、それにムンバイも行ってみたいし…あとは、あとはね…」
「…。」

 無事にマトンカレーを堪能した後、店主にも挨拶できた。
(どうやら約束は覚えてなかったようだけど、この際そんなことはどうでも良い)
そしてゆいさんの方もとても気に入ったようでこの二日後もこのお店でマトンカレーを食べることとなった。

 昨今は、なかなか行きたいところや会いたい人の下に行きづらくなってしまった。
それでも思い出は永遠に心の中にあるし、いつか必ず行ける、会える時がくるだろう。
また行けるようになるその日まで、思い出を大事にしていこうと思う。
そして次行くときは、息子も連れて「家族が増えました!」って紹介しよう。
その時も約束は覚えてないだろうけど、この際そんなことはどうでも良い。