第九食
ぼくとガーリックライス

「今日は暑いねぇ。これじゃあ夏に負けてしまいそうだよ。あぁ、あなたも精力つけないとね、これ飲んで待っててねぇ」

ぼくの目の前にそっと置かれたコーラは、今日も気が抜けていた。


 それは日吉という街にある。
東急東横線沿いに面し、学生の活気とおそらく先住民であろうおじいちゃんおばあちゃんの穏やかさが入り混じった横浜の下街。
頑張りすぎず、それでいて活気が無いこともない。

丁度良い。

思わずそんな言葉を使いたくなる。それが日吉という街だ。

 ぼくが上京したばかりの頃、目に映るもの全てがキラキラして見えて、絶え間なく浮かれていた。
スカイツリーに築地市場、銀座や六本木、それに赤レンガに中華街に…あぁ休みなのに休めない!

なるほどこんな感じで、あの頃のぼくは起きてから寝るまでの間、絶え間なく地面から5センチくらい浮いていたと思う。
「お前はドラえもんか」と突っ込みたくなる。

 案の定、半年もしない間に疲れ果てたぼくは、少しでも「落ち着く場所」を求め、この日吉にある洋食屋「YOU&I」と出会った。

暗い入り口に、上に続く暗い階段。
クリーニング店兼洋食屋という斬新な経営スタイル。
店内に所狭しと並ぶマンガと等身大のフィギュア(マリオやミッキーなど。雑多で狂気すら感じる)、それに90年代アメリカのおもちゃ。

おそらく70代後半、長身長髪で長い髭をたくわえた、見た目は同じで中身は真逆な双子のおじいちゃん店員。喋るまでどちらの方が来たのかわからずドキドキする。(お兄さんは無口、弟さんは陽気なのである)

なぜかいつも炭酸が抜けているコーラ。
真夏でもなぜか窓を全開で、やけに薄暗く物静かな店内が東南アジアを彷彿させる。

この「明らかな違和感」の数々がぼくを一気に現実から引き離してくれる場所となってくれたのだった。

 それから足しげく通うようになり、店員のおじいちゃんとも世間話をするようになったある夏のこと。

ぼくはいつものようにメニューを見ながら、お気に入りのナポリタンを頼もうかなと考えていた。銀のお皿にケチャップソースベースのパスタが盛られた昔ながらの味わい。


ぼく「やっぱ今日もナポリタンかなぁ〜」

弟さん店員「はいはい、ナポリタンねぇ、飲み物はいつものコーラですよね、今日暑いから先に持ってきちゃいますねぇ」

程なくしてコーラを持った彼がぼくに話しかけてくる。
きっと厨房が暑いのだろう、ぼくより数倍の汗をかいている。

「今日は暑いねぇ。これじゃあ夏に負けてしまいそうだよ。あぁ、あなたも精力つけないとね、これ飲んで待っててねぇ」

そう言い去っていく後ろ姿を見ながらぼくはコーラを一口飲んだ。やっぱり気が抜けていた。


次に彼がやってきた時、なぜだか豚肉が添えられたガーリックライスをぼくの目の前に置いた。

「はい、どうぞ!ふー熱い熱い!」

「あれ??ナポリタン頼んだんだけど…」

「いやねぇ、今日暑いでしょ?暑さに負けないように元気にならなきゃねって思って。それにお疲れみたいだったし!まぁ食べてみなよ、裏メニューだけど美味しいんだよ!ほらほら!」

すっかりナポリタンの口になっていたぼくは、とりあえず目の前の湯気の立ち上るガーリックライスを見た。
カリカリになったガーリックのガツンとくる香ばしい香りと、胡椒のツンとする刺激が鼻をくすぐる。
添えられた豚肉は見事に黄金色に輝き、脂とソースがライスに侵食し色付けている。
ライスはシンプルながらも薄く色付き、一粒一粒に旨味が閉じ込められていることがわかる。

「そこまで言うのなら食べてみようかな!ありがとう!いただきます!」
そう言いながら、早速スプーンを手に取る。さっきまでのナポリタンの口は何処へ。

スプーンに一口分のライスをすくってみる。パラパラと艶やかなライスがスプーンからなだれおち、残ったそれを口に運ぶ。

それは優しい味だった。
ガーリックライスのイメージはニンニクがドカンと前面に出て、辛みのあるマッチョな食べ物のイメージだが、これはイメージのそれとは違う。
最初に来るのはお米の甘みとコンソメか何かで炊いたであろうダシの旨み。そして途中から胡椒とニンニクの香りが鼻を抜けていく。 ピラフに似た味わいだ。

豚肉と一緒に食べてみる。
これも優しい。
甘辛ソースで味付けされた豚肉がガーリックライスの優しさを底上げするように、スッと入ってくる。これも見た目よりパンチが強くなくて、じんわりお肉の旨みとソースの甘みと辛みが寄り添ってくれる感じだ。 日本の生姜焼きのような、そんなホッとする味わい。

このお店に来たくなる理由がこの一皿に象徴されているような、なんとなくそんな気がして心もお腹も幸福感でいっぱいになった。

特段豪華でもおしゃれでもない。
珍しい食材も先進的な調理法とかでもない。
それでもこんなに美味しくてこんなに満足できるごはんがある。

それはごはんを通して作り手の人柄に触れて、その優しい心に触れているような気がするからだろう。
噛むたび感じる旨みの幸せは、そんな心の触れ合いから成るものだとぼくは信じているのだ。

とはいえ、コーラの炭酸がないことは例外である。